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FEATURE / 金村修

Feature/金村修

RUINS OF COMMODITIES from < Mēdeia2.0 > ISSUE N˚03


Photo&Text:Osamu Kanemura

金村修

フォトグラファー,フィルムメーカー

東京都生まれ。1992年、東京綜合写真専門学校在校中にオランダ・ロッテルダム写真ビエンナーレに招聘される。1996年、MOMAによる「世界の注目される6人の写真家」の一人に選ばれ同美術館へ出品。2000年、史上2番目の若さで第19回土門拳賞を受賞。
1997年 日本写真協会新人賞受賞
1997年 第13回 東川賞新人作家賞受賞
2000年 第19回 土門拳賞受賞
2014年 第39回 伊奈信男賞受賞


スクラップアンドビルドを繰り返し続ける東京の歴史は、明治時代から既に始まっている。例えば山手エリアは新興のブルジョワ階級の勃興により、明治以降急速に発達したエリ アだ。広大な庭を持った武家屋敷が66%を占めていた山手エリアは、武家の何も無い庭が殆どだったので、歴史や伝統を持たない新興のブルジョワ階級にとってそこは自分達が住みやすい様にカスタマイズできる絶好の場所だった。明治維新によって解体された武士階級が持っていた広大な土地を無償で手に入れた新政府は、ブルジョワ階級に廉価でそれらを売り出すことで商業と産業の発展を促進した。政府の主導によって再開発された明治以降の山手エリアは、江戸時代の江戸や大阪、京都の様な文化が存在しない。東京は商業と産業と軍事の街であり、西洋から輸入された派手で内実の無い、表層を真似ただけの文化が幅を利かせていた。特に浅草の商業施設や繁華街を見ると、東京はキッチュな西洋風のアミューズメントパークとして作り直された様にも見える。

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2010年頃に、JR東日本はあるキャンペーンを開始した。「東京は劇場だ」をキャッチフレーズにした動画広告を作り、山手線の各駅の中に駅ビルとショッピング店を大量に出店させた。通勤や通学という移動目的以外にも、駅は娯楽施設としての役割も負わされ、新しく作られた駅ビルに観光客を誘致し始めた。通勤と観光を同居させることで起こる事態を考えなかったJR東日本の戦略が、どの様な結果を招いたのかを知りたいのなら、平日の朝の東京駅を見ていればいい。通勤ラッシュで揉みくちゃにされたサラリーマンやオフィスレディ達とキャリーカートを持って右往左往する観光客が駅の通路でごった返している。その様子はまさにカオスと言っても過言ではない。「東京は劇場だ」をキャッチフレーズに、駅のアミューズメント化を進めたJR東日本。駅や職場もまた劇場であるべきで、サラリーマンや労働者というキャラクターで演技を続けなくてはならないことをJR東日本はアピールする。JR東日本の動画広告は、スーツ姿の男女が駅のホームで楽しく踊っている映像だった。東京で働くことは、こんなにも楽しいのだと強烈にアピールする映像だった。東京ディズニーランドが、そこで働く人たちをキャストと呼ぶ様に、JR東日本は駅の下働きを行う人達をパートナーと呼び始めた。そこでは階級的な矛盾は廃棄され、労働者は名前だけのパートナーに変質する。駅で働く人達はJR東日本の駅という劇場で、パートナーを演じることを強制される。「東京は劇場だ」は、東京に住む全ての人はいつまでも東京で楽しまなければいけないというメッセージを発している。労働もまた遊びの一つとしてカウントされ、楽しまなければいけないのだ。それはアミューズメント・ファシズム と言ってもいいだろう。

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劇場としての東京には演技という表層しか存在しない。そこには歴史も伝統も存在しない。例えば東京は半世紀ごとに景色が変わるぐらい街の変化が早い。それは別の言い方をすると、世代が変わると同じ景色の記憶体験を共有出来ないのだ。東京にはその街特有の記憶が存在しない。存在するのは、ものすごいスピードで変化していく工事中の風景だけだ。日々破壊され、建築され、また破壊される。そんな街に記憶が存在するだろうか。記憶を失い、空っぽになった東京の姿は、資本主義の最も洗練された姿だ。資本は資本の蓄積を目的とする、とマルクスが言った様に、資本は記憶や伝統、文化を必要としない。記憶や伝統、文化はそれらが商品に変容することでしかマーケットに存在することができない。商品化された記憶や伝統、文化というのは、それらが持っていた固有の価値を消滅させることで商品に変質するのであり、決して記憶や伝統、文化などではない。それらは記憶や伝統、文化の衣装を纏った商品でしかないのだ。

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資本主義は使用価値という個別性を、どんなものとでも交換することができる交換価値に置き換えることで、使用価値の独立性を消滅させる。資本主義下では全てのものは等価であり、そこには交換価値しか存在しない。あらゆるものと交換可能な商品に変質する。資本主義が必要とするのは商品であり、個別性を持った人間は存在しない。資本主義下において人間とは確定記述、またはデーターの束でしかなく、必要なのは労働力という商品であり、人間ではないのだ。資本主義下において人間は、The Pop Groupが歌った様に、”We are all prostitutes”であり、そこに固有のわたしは存在しない。日々お金と交換されることでしかわたし達は存在することができないのだ。必要の無い商品を嬉々として買い続ける人々を見ていると、日本の有名な資本家が言ったセリフを思い出す。”北極で冷蔵庫を売れ。誰も必要としない物を欲しくさせるのが商売だ”と。商品はそれ自体に価値があるわけではない。商品は交換されることで価値が生まれる。だから商品の価値は、みんながそれを欲しがっている、みんながそれを買っているということが重要なのであり、その商品の使用価値は一瞥だにされない。重要なことはそれが交換可能な商品なのかということだけだ。そして人間もまた労働力と言う商品に変質され、労働マーケットで日々取引される。人間の価値もまた交換可能な商品に還元される。東京には商品しか存在しない。それも誰も必要としない無意味な商品しか存在しない。がらくたの商品しか存在しない東京は廃墟であり、それこそ資本主義の行き着いた姿なのだ。

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歴史や伝統という物語が廃棄された東京には、一本の直線として繋がった物語は存在しない。そこにあるのは繋がらない断片が空中に放り出されて浮遊している姿だ。1980年代のバブル経済の影響で、土地の買い占めが続き、伝統的な街のコミュニティの殆どが破壊された。銭湯やスナックというコミュニティの集まりの場が土地の買い占めで姿を消したとき、人々は先祖代々の土地を資本に売り渡した。東京の人々は環境の激変により、繋がりを失い、孤立した存在へと追い詰められる。八十年代に東京で暗躍していた地上げ屋は、東京から人間を追放する運動だった。人間の住めない街に東京を変容させようとしたのだ。人間が住めない街。それは資本主義が追い求めた最も過激な街の姿だったのかもしれない。人間がいない街へと加速していく東京。人間も風景も全ては商品として街に現れる。都市を撮るということは、商品の廃墟を撮ることなのだ。