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FEATURE / 小林万里

Feature/小林万里

DISTANCE BETWEEN CULTURE AND COMPETITION
スケートボードの“分断“と“共生”。


Interview&Text:Yuichiro Tsuji

2021年に開催されたスポーツの祭典にて、堀米悠沖選手や四十住さくら選手たちの活躍によって、社会的認知が向上したスケートボード。昨年、 <  Mēdeia1.0 > とコラボレーションをおこなった、〈ディアスポラスケートボーズ(Diaspora Skateboards)〉の小林万里は、「それによってシーンの構造が変わった」と話す。ストリートカルチャーの象徴として、一方では立派なスポーツ競技として、人々の認識に大きな溝が生まれたのは事実だ。果たしてスケートボードは誰のものなのか?シーンの"分断"と"共生"について、彼のアイデアに触れてみた。 

小林万里

Diaspora Skateboards ディレクター

長野県松本市出身。早稲田大学社会科学部卒業後にPRエージェンシーに入社。 2018年に独立し、フリーランスのPRプランナー、ビデオディレクターとして活動をスタートする。 2010年、仲間と共に設立した〈Diaspora skateboards〉では、ディレクションを担当。アパレルやグラフィックデザインの制作、さらにはPR、セールスなどもおこなう。2022年11月には、東京・駒沢に旗艦店である「PURRBS」をオープンし、カルチャーの発信地としての機能を持たせている。


Feature/小林万里

スケートボードに乗って滑ることで、街にいても自由を感じる。

ー小林さんがスケートボードをはじめたのはいつ頃ですか?

小林:『BOON』っていう雑誌を中学生の頃に読んでいて、 自分自身もスケーターのファッションを真似していたんです。 ぼくは当時スケーターではなかったので、そういうのを“ポーザー”と揶揄することを知り、 自分もはじめようと思ったのがきっかけですね。

ーその当時は街で滑っていたんですか?

小林:地元にはパークがなかったので、ずっと街でしたね。昼間に公園で滑って、夕方くらいから街中に行って、なんでもない階段でトリックの練習をしたりとか。

ービデオを撮るようになったのも、スケートの延長で?

小林:高校生になって部活をやらずにスケートに明け暮れていたんですよ。それで時間があったので、自分たちでもビデオを撮ろうということになり、家にあったカメラを持って撮影をはじめたのがきっかけです。編集も自分たちでして。当時のPCって動画の処理がめちゃくちゃ遅かったので、フリーズとの戦いでしたけど。

ーそうした活動が地続きで現在につながるわけですね。

小林:そうですね。

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ー中学生の頃にはじめてから20年近くの月日が経っていますが、当時の空気はどんな感じだったんですか?

小林:一部の人のものというか、とくに長野は田舎だったので、「スケボーってなに?」っていう人もいましたし、スノーボードと混同している人もいました。だから認知でいうと、まだまだという感じですね。

ーその頃から小林さんの中に社会的な関わりみたいな意識はあったんですか?

小林:地元のとあるビルの前にスポットがあったんですよ。そこは19時前だと警備員がいたんですけど、それ以降は仕事が終わって帰ってしまうので、夜に滑ったりしていたんです。 でも、たまに早い時間に滑っていて、証拠写真を撮られたりしたこともあります。「なんでダメなんですか?」と聞いても、明確な理由はなく「ダメだからダメなんだ」と言われるだけ。 ぼくらはそうした意味のない警告に対して反抗していた程度で、社会的な関わりみたいなことは考えていなかったと思います。いま思えば、それも第一歩だと思うんですけど。

スケーターたちは街の中で常にスポットを探していて、 高校生の頃から自分もそうした意識が芽生えて、道の白線やマンホール、段差などが遊び場になることに気づいたんです。 その前まではただの道としか認識してなかったけど、家の外に出れば遊ぶものがたくさんあった。

最近思ったのは、人って街を無意識に歩いていますけど、 車道と歩道があるように、敷かれたレールを歩かされているんですよね。 階段も登るためのものですけど、段差があることによって登らされているんだなと思うようになって。ぼくらは自由に道を選んでいるようで、実は限られた使い方しかしていないんです。

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一方でスケートは、そうした概念を振り払うように、本来の用途を無視して遊びのツールにしてしまう。そこに自由さがあると思うんです。

ーそうゆう目線で高校生の頃から街を眺めていたんですか?

小林:そうですね。大人になってようやく、それを言語化できるようになってきたという感じです。スケボーに乗って滑ることで、街にいても自由を感じるんですよ。 歩行者天国ってあるじゃないですか。あれとちょっと似ているというか。普段は車道として機能しているところを歩くことによって、開放感を感じる感覚に似ていると思います。

シーンをつくってきた人たちへの敬意。

シーンをつくってきた人たちへの敬意。

ー〈Diaspora skatebords〉は“I AM WATCHING YOU”と題して「Mēdeia1.0」とコラボレーションをおこないました。 そこには“分断”と“共生”というテーマがありましたが、それについて教えてください。

小林:いち市民として感じる社会的分断、そしてスケーターと一般の人のあいだにある分断、さらにストリートスケーターと競技スケーターの分断。いろんな分断がテーマになっています。

ー堀米悠斗選手や四十住さくら選手のメダルの獲得によって、スケートボードが社会的に広く認知されるようになりました。 それによってストリートと競技者の隔たりが生まれたという話はよく耳にします。それ以前のスケーターたちに対する社会の目というのはどういったものだったんですか?

小林:そんなに気にしてなかったように思いますね。街の景色と同化して見られていたというか、「あぁ、やってんな」という感じ。 だけどスケートが競技化されて社会的認知が上がったことによって、「メダルを獲った選手たちに迷惑かけるな」とか、「ちゃんとした競技場でやれ」って言われることが多くなったんですよ。 ストリートカルチャーとしてではなく、スポーツカルチャーとしての側面が大きくなってきたんです。

ヒップホップシーンでも似たようなことが起こりましたよね。フリースタイルバトルが盛り上がったことで、ラップに興味を持つ人が増えた。 だけど、ヒップホップカルチャーに関して理解を深めた人が増えたかというと、そこまで多くないと思うんです。

ぼくとしては、間口が広がることはすごくいいことだと思ってます。 ただ、いいだけではないというのも事実で。

ースケートシーンに関しては、海外ではそうしたストリートと競技者の分断はあるんですか?

小林:一概には言えないですが、ぼくの印象としては、海外はストリートがしっかり理解された上で競技が成り立っているように感じます。 世界的な大会に出ている選手で、ストリートでも滑っている人はたくさんいるし、堀米くんもストリートで滑っていますし。

シーンをつくってきた人たちへの敬意2

ーなるほど。堀米選手たちの活躍後、日本でもスケーターの人口は増えたんですか?

小林:増えましたね。だけど、キッズに限って言うとそれがいわゆるスポーツの習い事みたいな感じなんです。 パークに行くと、親が子供に「やれ」って言ってて。だけど、その親はスケーターでもなんでもないんですよね。メダルを獲得するとか、わかりやすい名誉や勝ち負けがあるから、親も子供にやらせたいんでしょうね。

ーストリートが入り口ではなく、競技が入り口になっていると。

小林:もう別物です。うちのショップに来ている子たちは昼間にパークで滑って、夜はストリートで滑るみたいなのが自然にできているんです。それがいいなぁとぼくは思うんですよ。

ー企業からの視線はどう感じてますか?

小林:「レッドブル」がストリートを理解した上でサポートしてくれたり、動画を一緒につくったり、活動を支援してくれているのは知っています。 だけど一方では、競技としてのスケートが盛り上がって、それでお金になりそうだから参入してくる企業があるのも事実で。 本当に企業の姿勢によってまちまちですね。

ービジネスという大義名分は企業にとって必要不可欠だとしても、コアな部分もきっちりと理解してくれたらいいですよね。

小林:そうですね。ビジネスにつなげること自体はまったく否定しないです。それによってスケーターがサポートされるし、ぼくらもアパレルを展開しながらビジネスを展開しているので。 だけど、スケーターにしかわからないこともたくさんあるんですよ。札束を持ってシーンに入ってきて、その場を荒らすのは歓迎されることではないです。自分たちを優遇しろとは思わないけど、 最低限のリスペクト、シーンをつくってきた人たちへの敬意を持って欲しいです。

SNSでは伝わらないリアルなストリートを伝えたい。

SNSでは伝わらないリアルなストリートを伝えたい。

ー実際にそうした分断が起こったいま、小林さんはそのためにどんな行動を起こしていますか?

小林:ぼく自身は競技が盛り上がることに対して否定的ではなくて。競技のスケーターと、ストリートのスケーターが別物だと考えられて、 なおかつパークで行儀よく滑っているやつが偉いと思われるのはちょっと違うなと。

ーそれは周りからの視点ということですか?

小林:スケートボードを知らないキッズスケーターの親世代とか、SNSやYoutubeの動画で書き込みをしている人たちですね。 たまに炎上してるんですよ。「こういうやつらがいるから、スケーターの価値が下がる」って。そうゆうのを見ていると、もっとスケートボードを知った方が楽しいのにと思います。

ーストリートスケーターたちはスケートがしたいだけで、迷惑をかけたいわけではないですよね。

小林:そうですね。ぼくらの中にも、「ここではやっちゃいけない」とか、そうした暗黙のルールがあるんです。スポットも先輩たちから引き継いだりして、そういうところを大事にしたり、 その周辺に落ちているゴミを拾ったりとか、近辺で溜まらないとか、そういう意識を持ちながら街で遊ばせてもらっています。

去年の11月に「PURRBS」をオープンしたのも、ひとつの理由としては若い子たちのためなんですよ。本当に草の根活動なんですけど、先輩たちがストリートで滑っているビデオを流したりとか、 SNSの動画では伝わらないスケートカルチャーを理解してもらいたい。そうしたことをしながら、コミュニティを形成したいんです。

ーまだオープンから間もないですが、その効果は感じていますか?

小林:集まってくる子たちはまだまだ若いんですけど、めちゃくちゃ感度が高くて。ぼくが伝えるまでもなく、ストリートの価値を知っている子が多かったです。 スケボーをはじめたばかりの子も来てくれるんですけど、駒沢がローカルで、ストリートのことをもっと知りたいと言ってくれたりとか。ちょっとづつですけど、そうしたことができてきているのかなと思います。

むかしはパークがコミュニティをつくる場所として機能していたんです。そこで先輩たちに怒られながら学んで、一緒にストリートに連れていってもらって、いろんなことを教えてもらっていました。 いまのパークはそういう場所じゃなくなってきている部分もあって、キッズが親と一緒に来て、親はすべらないのに「乗れ」って怒られて、半分泣きながら滑っている子供がいたりとか。 あとは誰と交流するでもなく、黙々と滑っている人もいたりして、パークの位置付けが変わってきているように感じます。

ーむかしはそうじゃなかったんですね。

小林:自分の経験で言うと、むかしは学校に馴染めない人たちが集まるサードプレイス的な場所でもあったと思います。滑らない人もいて、ただ喋っているだけなんですけど、 それによって社会との接点をギリギリ保っている人もいましたね。スケートパークはスケートするだけの場所じゃないっていう認識があったんです。

SNSでは伝わらないリアルなストリートを伝えたい。 2

ーだけど、いまはだいぶ環境が変わってきている。

小林:いまは本当に練習場になっているパークが多いと思います。ただ、それを一概に悪と決めつけることはできない。自分たちが変わらなきゃいけないこともたくさんある。 ただ、コアな部分はしっかり残す必要があって。そこは自分たちのお店でも伝えていかなきゃいけないと思ってます。 スケートには、競技である以前にもっと自由な精神があるということを。 そこを知ると、もっと楽しくなると思うんですよ。

ー遊びからはじめたほうが、競技者としての表現の幅も広がりそうですよね。メソッドばかりに捉われなくなるというか。

小林:そう思います。本当に遊びなんです。2020年にリリースした”SYMBIOSIS”で、hakaseが警察と話をするシーンがあって、
その中で「遊びじゃないんだよ、遊びだけど」っていう言葉が出てくるんです。本当にその言葉に尽きると思う。まさにその通りなんですよね。ぼくらは本気でスケートで遊んでいるんです。

ー議論が起こるのはすごくいいことだと思うんですが、机上の空論を繰り広げるだけでは発展がないですよね。「PURRBS」のような場所で発信しながら、地道に活動していくことが大事だなと思います。

小林:店をやっていなかったら知り合えなかった子もいるし、場所をつくって、コミュニティができてよかったと思います。

ーこれからどうしていきたいですか?

小林:もっといろんな人たちにこの場所を利用して欲しいです。イベントをやったりとか、ビデオの試写会をしたりとか。若い子たちの表現の場所として機能したらいいなと思ってます。 そこでまた新しいものが生まれたり、つながりができたりすると思うから。そういうスペースとして成立させたいですね。

ー自分たちが先輩にしてきてもらったことを、自分たちが先輩としてやるということですよね。

小林:そうですね。いまってそれが途切れそうな時代だと思うんです。なんでもSNSで完結させちゃう人も多いから。それはぼくらが責任を持ってやるべきことなのかなと思います。

ー現場が大事ということですね。

小林:間違いないです。いつの時代もそうですね。コロナが収束してきて、人と話すようになって、こんなに楽しいんだって思うようになったんですよ。 仕事の現場でもみんなに会えたし、オフラインに勝るものはないって実感しています。そうゆう場になりつつあるというのがうれしいですね。